いちご広告社様から出版の
栃木の一流 7thに掲載されました。
日本の経済を支えているのは物流だ。国土の7割が山野であるこの国で、野を超え山を越え、最終目的地まで大量のモノを運ぶ最終手段はやはり、屈強な大型車両に頼らざるをえない。
それら大型車両が安全に走行できるよう、車体をサポートするのが有限会社柳沼ボデー工場の仕事である。昭和年の創業と歴史は古く、現在の社長・柳沼文秀氏は創業者で祖父である故・柳沼政雄氏から数えて三代目となる。
政雄氏は戦時中、木工職人として満州の地でトラックの荷台を修理していた。終戦後、宇都宮市内で引き続きトラックの修理に携わり、昭和年に法人化し現在の地で操業を始めたという。
「弊社は大型車両の専門医、いわば外科医のような仕事と考えてください」と柳沼氏が話すように、メインはバスやトラック、特殊車両の車体の修理やメンテを行う。
ディーラーからの事故や故障車の修理依頼が大半だが、運送会社から直に依頼されたり、自動車修理工場が、自分のところで手に負えなくなった車両を持ち込むこともある。
トラックの稼働が会社の売り上げを左右する。そのため柳沼ボデー工場には常に、最速で的確な修理と納期が求められる。特に冷凍車やゴミ収集車、ダンプといった特殊車両は代車がないため、いかにスピーディーに対処するかが勝負となる。
柳沼ボデー工場では年間500台以上の大型車両に対応し、数十年かけて蓄積した技術で顧客の要望に応えてきた。いすゞ自動車、UDトラックス、日野自動車、三菱ふそうトラック・バス、トヨタ自動車、日産自動車のディーラー6社も、その仕事ぶりには大きな信頼を寄せる。
令和元年、柳沼ボデー工場は新境地を開いた。修理メインから製造販売という「攻め」のビジネスへの挑戦である。メーカーと契約を取り交わし、これまでのノウハウをつぎ込んだ国内トップクラスの内法の高さと、最大積載量3200kgのウィングボディの製造販売を開始した。
さらに令和2年早々、県内の畜産業者からの強い希望で、同社初の家畜運搬車・家畜輸送車の製造を手掛けた。栃木県において畜産と酪農は地場産業に等しいが、畜産運搬車を積極的に製造する会社はほとんどなかった。
理由は1台1台仕様が異なるためすべて手作りとなり、手間がかかり過ぎるからだ。よって家畜運搬車は北海道や東北の業者に委託され、2~3年待ちでやっと納品されるという。
ここに柳沼氏は目を付けた。ウィング製造による新たな技術の獲得により、家畜運搬車の製造が可能となった。現在は1年以内に納品できる。「わざわざ遠方に頼むより、地元で製造や修理が出来たほうが業者さんにとってメリットは大きいはず。こちらも地場産業に貢献できる嬉しさがあります」と新分野への豊富を語る。
柳沼文秀氏は昭和年生まれ、大学は工学部の機械工学科を卒業し、栃木いすゞ自動車に在籍、その後柳沼ボデーに入社し、平成年に代表取締役に就任した。
決して自己主張しない人物だが、頼まれ事は潔く受けて立つ気質の持ち主で、いくつかの自動車関連団体の役職を務め責任を果たしている。
そのため柳沼氏は若いながら業界でも人望が厚く、それが柳沼ボデー工場の信用をいっそう押し上げていることはまちがいない。